自分のために権利擁護すること

自分をアドボケート(権利擁護)すること ― 効果的な働きかけをすることによって、元気とリカバリーを支えるために必要なこと、望むこと、望んで当然のことを手に入れることができます。

自分を信じることと自分の権利を知り、目標を定め、それに向かって努力することで、効果的な自己権利擁護者になれます。自分が自分の効果的な権利擁護者になれます

「自分のことを伝える」ことを躊躇した(言えなかった)ために、自分を窮地に追い込んでしまうことがあると思います。誰でも「あの時言っておけば良かった」と思うことがあると思います。

自分の我を通すことではなく「基本的人権」に関わっていながら表に出して言えなかったことを出して良いということです。

私は、自分を権利擁護するには、「アサーティブ」「アサーション」の理解が役に立つと思います。

アサーション(assertion:さわやかな自己表現)の理論では、コミュニケーションのタイプを、アグレッシブ(攻撃的)、ノンアサーティブ(非主張的)、アサーティブの大きく3つに分けて考えます。

アグレッシブな方法とは、自分のことを中心に考え、相手のことはまったく考えないやり方です。例えば、失敗した人に対して、理由や言い分など聞く余地もなく頭ごなしに叱責をするような表現です。自分の気持ちは抑えることなく表現していますが、相手の気持ちは考慮していないので、相手は不快な思いをします。また、怒鳴って、威圧的な態度で表現するだけでなく、どんなに優しい口調で言ったとしても、相手に選択の余地のないような状況で頼み事をするなど、巧妙に自分の欲求を押し付けて、相手を操作して自分の思い通りに動かそうとする態度もアグレッシブな方法と言えます。

ノンアサーティブな方法とは、自分の感情は押し殺して、相手に合わせるようなやり方です。例えば、いつも友人に雑用を頼まれて嫌なのに、はっきりと断れずに引き受けてしまう態度のことです。このような態度は一見すると、相手を配慮しているようにも見えますが、自分の気持ちに率直ではなく、相手に対しても率直ではありません。自分の気持ちを抑え続けていると、次第に欲求不満がつのり、相手に対して「譲ってあげた」という恩着せがましい気持ちや、「人の気も知らないで」という恨みがましい気持ちになってしまいます。

アサーティブな方法とは、自分の気持ちや考えを相手に伝えるが、相手のことも配慮するやり方、自分も相手も大切にしたやり方です。アサーティブな自己表現では攻撃的な方法でも、非主張的な方法でもなく自分の気持ち、考え、信念に対して正直・率直に、また、その場にふさわしい方法で表現します。しかし、どんなにアサーティブに表現したとしても、それが相手に受け入れてもらえるとは限りません。お互いが率直な意見を出し合えば、相手の意見に賛同できないことも出てくるでしょう。そのときに、攻撃的に相手を打ち負かしたり、非主張的に相手に合わせたりするのではなく、お互いが歩み寄って一番いい妥協点を探ることがアサーティブなあり方であると言えます。

説明が長くなりましたが、権利擁護とアサーションは無関係と思いますか?私は自分のアサーション(コミュニケーションのタイプ)を知った上で、「自分を権利擁護する」方が、後々役立つことが多いと思います。

私自身はアグレッシブだと認識しているので、できるだけ相手の気持ち・考え・信念に配慮しながら、アサーティブな接し方を実践しています。

アサーションについては平木典子さん著の「よくわかるアサーション」がわかりやすいです。アサーションチェックリストを引用します。興味のある方は利用して下さい。

私のキーコンセプト(家)の中では「壁」に該当するコンセプトだと思います。外界と接しているところだからです。また、バウンダリー(境界)を築く上でも、「壁」が適切だと思います。

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