メアリー・エレン・コープランド談(2002)

私はこの作品が、 精神的なことや、そのほか普通に生活する上で何らかの問題を抱える人々にとって、彼らが望むような充実した人生を送れる指針となるものになることを願っています。

私がこのような仕事をすることになるとは思ってもみませんでした。ずっと前から計画していたことではないのです。

精神症状とかどんな呼び方でもいいのですが、人生の中でそのような状態に初めて気が付いたのは8歳の時でした。誰とも話さず、 とても悲しい気分で泣いてばかりいた、ひどい抑鬱の時期がありました。それでも気分が良くていろんなことができている時期もあったので、今までやり過ごせてきました。

1976年、色々やることが多く、忙しい時期でした。 5人の10代の子供がいて、小規模の学校を経営し、里親にもなっていました。ある日思ったのです。もう続けられないと。その日は送迎バスを運転するはずでしたが、精神科の診察を受けに行き、ドクターから それはお母さんと同じそう病で、これを飲んでいれば大丈夫だからと薬を渡されました。
それから10年間薬を飲み続け、無謀で混乱した生活を続けながらもなんとか暮らしていました。

でも、大きな間違いを犯しました。間違いは薬を飲んでいたことではなく、体に取り込んでいるものについて学ばなかったことだと思っています。しばらくして、その薬を飲むたびに副作用が出るようになりました。色々別の薬を使っても感情の起伏がコントロールできず、とても重い抑鬱状態になり、死のうとしたこともあります。手がつけられない躁状態の時には、私の行動がおかしいことを知り、恥ずかしい思いをしました。仕事も辞め、障害年金をもらうようになり、入退院を繰り返していました。

それである日ドクターに聞いてみたのです。「こういう症状を持つ人々はどうやって毎日をやり過ごし、人生を取り戻しているのですか。」と。「それは知らない」と彼は言いました。「薬や入院についての情報はあるけれど、人がどうやって切り抜けるのか情報がない」と。

それで私は、全米のこのような経験を持つ人に話を聞き、その人たちが人生を取り戻してきた方法、どうやって困難を切り抜けてきたのか探り出そうと思いつきました。それは私に全く新しい世界を開いてくれました。調査して学んだアイデアを自分の生活に取り入れ始めてから、どんどん良くなったのです。

私は自宅でワークショップを開き、学んだことを人に紹介するつもりだとドクターに打ち明けた時のことを覚えています。彼は「それは無理だ」と言いました。でも、とにかくワークショップを開きました。そしてまたドクターにこれは素晴らしい情報なので、本にして出版するつもりだと話したら、「誇大妄想だね」と言われました。私の本は9冊ありますが、彼にはありません。

症状には今でも続けて対処しています。でも私には利用できるいろいろな道具があります。それは、全米の人たち、ケアマネージャー、セラピスト、症状を経験している人、家族たちなど、何か分かち合えるものを持っているすべての人たちから学んだことです。そして、私は学び続け、それをほかの人たちと共有しています。

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